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 ぶらり歩き  
 11. 鹿島神宮を訪ねて                          平成20年3月30日
 今年は例年より1週間ほど早く桜が開花し、今日あたりは満開の花のもといくつもの花見の宴で賑わっているはずであるが、昨日までの春らしい陽射しは影を潜め、花冷えの寒い一日となる。気が進まない天候であるが、以前から訪ねてみたいと思っていた鹿島神宮の要石を見物に出掛けた。電車を乗り継いで房総半島を東に進むが、桜の花の開花は遅れているようで、3分〜4分咲きといったところである。

 3時間半かけて鹿島神宮駅に降り立ち、改札口を出ると、駅舎には神武天皇元年創建といわれる常陸国一之宮として信仰されている鹿島神宮とサッカーチームの鹿島アントラーズの案内が並立し、古き伝統と新しきスポーツが同居している。鹿島神宮への道はレンガで舗装された歩道となっていて、道に迷うことがないように配慮されているようにみえる。そんな歩道の一画に塚原ト伝の銅像(写真1)が建っている。塚原ト伝は室町時代に鹿島の神官の家に生まれた剣豪で、鹿島新当流の開祖である。

 レンガの歩道を辿って行くと、鬱蒼とした森を後ろに控えた神明造りの大鳥居(写真2)が建っている。両側に江戸時代の常夜燈が並ぶ参道を進むと、寛永11年(1634年)に水戸藩主徳川頼房公(よりふさ)が奉納した朱色に塗られた重厚な楼門(写真3)が迎えてくれる。楼門を潜って、右側に元和5年(1619年)に徳川秀忠が奉納した拝殿(写真4)本殿が配置されている。そして、拝殿の前にも鳥居が建てられている。

 拝殿を過ぎて、大木に囲まれた静寂の中を、鹿が飼われている鹿園を左に見て奥宮に進む。奥宮から道を右に入ってしばらく歩くと、今回の最大の目的である要石(写真5)が祀られている。要石は地震を起こすナマズを抑えているとの言い伝えが伝わるが、信仰上は伊勢神宮の本殿床下の心(しん)の御柱的存在だという。また、水戸黄門仁徳録には、7日7夜掘っても掘り切れなかったと書かれている。ナマズを抑えている石と聞いていたので、大きな岩が地上に頭を出しているものと想像していたが、直径30cmぐらいの平らな石が顔を覘かせているだけである。地中に要石の本体が存在しているとすると、これは神秘の扉のボタンのようなものに思えてくる。因みに、江戸時代初期にはナマズではなく、龍であったという。
 

 
 
写真1(塚原卜伝銅像)
 
写真2(鹿島神宮大鳥居)
 
写真3(鹿島神宮楼門)
 
写真4(鹿島神宮拝殿)

写真5(鹿島神宮要石)
 

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